「三つ子の魂百まで」という諺は、一般的に『幼いときの性質や培った習慣は、老人になっても変わらない』というたとえとして使われます。
この諺の理解は、人格の基本的なところは3歳までの母子の関わりや受けた養育の質によって決まるという考え方と、もう一つは、善悪の判断、欲求のコントロール、基本的な礼儀作法などを教えるにあたっては、3歳頃がしつけの最初の適齢期だという考え方があります。

どちらが正しいかということにはあまり意味がありません。要するに、それほど3歳ぐらいまでの生育環境は、その後の人生にとって、とても大切な時期だということです。

この3歳という年齢でポイントになるのが、物心(ものごころ)です。物心とは、世の中のことや、人の感情を物心(ものごころ)は、自我が無意識の壁を破り、意識に目覚めることです。「これは、こういうことなんだな」と分かり始めるのが3歳ぐらいです。それは心が成長したから、いろいろなことが理解できるようになった、と云えるわけですが、それまで無意識での活動が中心だった自我が成長し、無意識の壁を破って意識に目覚めたから、いろいろなことが理解できるようになったのです。

この年齢になるとお母さんお父さんは、我が子に頭のいい子・スポーツのできる子・早い時期になんでもできる子になって欲しいと欲が出始めます。目に見えることばかり、例えば「100点取れた」、「自転車にどの子より早く乗れた」、「泳げるようになった」……こんな風に子どもに成果を求めるのはどうでしょう。

ピアノが弾ける、バイオリンが上手、英語が話せるということと人間的に優れているという事とは別モノです。肉体的な成長、精神的な成長、知能的な成長のバランスを保ちながら成長するのがいいように思います。

『幼児期に大切なのは、母親との濃密なスキンシップ』だという研究報告があるそうです。
放任教育や子供の自主性重視の教育では、脳の発育に良くない影響がある……そうです。

母親との濃密なスキンシップについて考える前に、「過保護」と「過干渉」について整理しておきましょう。
過保護は子どもを育てるうえで悪い育児の代名詞のようになっていますが本当にそうでしょうか。子どもは主として母親をとおして、心の発達でもっとも大切な自分が生まれてきた世界への基本的信頼感と、自分の存在に対する自信を獲得して成長していきます。そのためには自分の欲求がいつもしっかり受けとめられ、十二分に愛され保護される必要があります。

過保護というのは、子どもが『望んでいること』をやってあげすぎることです。反対に過干渉は、子どもが『望んでいないこと』をやりすぎること。どちらも、やリすぎることですが、望んでいることをやりすぎることと、嫌がっていることや望んでもいないことをやりすぎることでは大きな違いがあります。親が良かれと思ってやっていることが、子どもにとっていいことかどうかは別です。

過保護は子どもの依頼心が強くなって自立が遅れると思われるかもしれませんが、かえって自立が早いのです。子どもが望んでいることをしてあげれば、してあげただけ満足してもう望まなくなります。子どもがもういいと言っているのに、それでも無理にするのは過干渉です。そうなると子どもの欲求は長びき、いつまでもたくさんの保護を求め、自立も遅くなってしまいます。

来年小学5年生になる娘に中学受験をさせるかどうかで悩んでいます。中学受験をさせるなら、この冬からでも中学受験の進学塾に通わせなければなりませんが、ウチの娘にそんな英才教育みたいなことをさせてしまっていいものかどうか・・・。

とりあえず、この冬休みに進学塾の冬期講習を受けさせて反応を見てみようかと考えています。

娘がそれほど嫌がらないようなら、冬期講習の後に中学受験するかどうか娘と話し合おうと思っています。イマドキ、中学受験は英才教育とは言わないのかもしれませんが、小学生が受験勉強するなんてやっぱり早すぎるような気がしています。

テレビ番組などで、小学生の中学受験を特集したものが放送されることがありますが、ウチの娘もそうなるのかなぁ・・・。

英才教育ではないのかもしれませんが、小学生の間はもっと伸び伸びと遊んで欲しいと思うんです。もちろん、勉強もしっかりとして欲しいのですが、中学受験の経験がないものでなんとも・・・。もちろん娘の将来は彼女自身が決めることなので、私たち親のできることはいろんな可能性を見つけてあげることだと思っています。小学生といえども娘の意志を曲げてまで英才教育はできません。

ある程度自分で自分の将来を考えられるようになるまでは、親がしっかりとレールを敷いてあげることも大切だと思います。

子供にはどんな可能性や能力があるかわからないので、いろんなことをさせてあげることが可能性を広げることにつながると思うのですが、英才教育によって何かに没頭してしまうと、他の可能性の芽がつぶされていってしまうのではないかと・・・。

「英才教育」と聞くと、子供にピアノを学ばせるとかバイオリンを習わせるという音楽教育が思い浮かぶ方が多いのではないでしょうか。ピアノやバイオリンなどの楽器は、大人になってから習得するのは非常に難しいものです。やはり小さな子供のときから英才教育を施すことが、大事なのではないでしょうか。

音楽の英才教育の中でも比較的多いのがピアノの英才教育です。ピアノの習得には膨大な時間がかかるため、幼児期からの英才教育が人気になっています。また、音楽的な才能を伸ばすためには聴力が成長過程にある5歳程度までに英才教育を始めることが勧められています。ピアノの上達に有利だと云われる「絶対音感」を獲得するためにも、早期の英才教育が有効だという学説が有力となっています。

楽器製作で有名な「カワイ」では、全国に音楽教室を展開しています。子供のピアノ教室は、イメージを即興で音にするレッスンで知識の前に感覚・感性をのばしたり、五線譜の前にグラフィック楽譜を使ったり、連弾や歌を歌ったりと、小さい子供に配慮したプログラムが特徴となっています。

楽器や音響機器の「ヤマハ」の音楽教室も全国展開しており、50万人以上が学んでいるそうです。1歳児対象の「おとのおもちゃばこ」、2歳児対象の「赤りんご」、3歳児対象の「おんがくなかよし」とステップアップして、4・5歳児対象の幼児科が用意されています。聴く、歌ういった体験の後、弾くということを体験することで、鍵盤へ自然に興味がわくように促し、表現意欲が育つようにプログラムされているそうです。

子供は遊びが好きで、机の前にじっと座っているのはつらいものです。それを無理やり座らせて勉強させてしまっては、子供が勉強嫌いになるように仕向けているのと同じこと。英才教育が、子供に勉強を詰め込むことだと思っているのでしたらそれは大きな間違いといえるでしょう。

まずは、子供が勉強嫌いにならないためにどうしたらいいか考えることが大切です。子供を勉強嫌いにしないためには、幼いころから、イロイロなものに関心を持たせて、自然に探究心を持つようにさせましょう。子供に「なんだか不思議だな」という気持ちを抱かせ、「知る」ことが楽しいと思わせることが重要です。その繰り返しが「知識欲」につながっていきます。

そのためには子供の五感を刺激し豊かにしていくことが必要です。自然に触れさせる、よい音楽を聞かせる、多くの絵本に触れさせる、見るもの、聞くものを面白いと感じて興味を持つようになればしめたものです。「これ何?」「あれは何?」と聞いてくる子供は、どんどん自分から学ぼうという姿勢が出来てきている証拠です。

そして大切なのが親がその疑問にしっかりと応える努力をすることです。忙しいからと、相手にしないのはダメ。根気強く、子供の知識欲に答えていくと、子供も本を読んだり、辞典を調べたり率先して知識欲を満たすことを始めます。そうなると、自分でしっかり学習する子供に育っていくのです。これこそが正に英才教育のファーストステップではないでしょうか。

子供を勉強嫌いにしないことに、幼児期の親の働きかけが大きく影響します。子供が自から勉強するように仕向けるためには、幼児期にいろいろな経験、体験をさせてあげることが大切です。

ゴルフの石川遼プロ、フィギュアスケートの浅田真央選手、卓球の福原愛選手など、10代から活躍するスポーツエリートとも言える選手たちは幼いときから英才教育を受けてきている場合が多く、こうしたスポーツ選手たちを見て、近頃の親は、我が子にも同じように英才教育を施せば、すごい選手に、果てはプロ選手になれるかもしれないと本気で考えてしまうケースが増えているそうです。

その中でも増えてきているのが、ジュニアゴルフ教室に子供を通わせる親たちです。

数年前に女子ゴルフ界に、宮里藍選手、横峰さくら選手と立て続けにスター選手が現れたことが契機になりました。その後、男子プロにも石川遼選手というスター選手が出現したことで拍車がかかったようです。

以前から、ジュニアを対象とするゴルフ教室はあちこちにありましたが、最近の特徴は「親に促されて」始める子供たちが増えていることだそうです。しかし、親の気持ちに対して、子供の方はイヤイヤというケースも少なくなく、厳しい指導や叱責によってゴルフが嫌いになるということも・・・。

英才教育を施しても、最終的には本人次第だということだと思います。「好きこそものの上手なれ」とはよく言ったもので、子供たちは好きになればグングンと身につけていきますが、嫌いなものは上達しなくなってしまうものです。子供たちが「好きになる」、「好きなこと」に夢中になれる環境作りが、最高の英才教育なのかもしれないですね。

人間の脳は「右脳」と「左脳」とに分けられ、左脳は言語・計算・分析など論理的な思考、右脳は瞬間暗記・芸術・空間認識・直感的な思考を司っていると言われています。特に右脳は0歳に近ければ近いほど高い能力があり、6歳を過ぎるとその能力は失われてしまうとも言われています。

子どもは遊びの中で思考力が発達し、集団で遊ぶことによって「ルール」という概念を持ち、社会性を学ぶことができます。そして、子ども同士の接触と衝突により仲間(他人)の気持ちがわかるようになるなど多くのことを学んでいきます。

英才(早期)教育も遊びを取り入れた教材を使用しますが、本来の遊びと英才(早期)教育の遊びでは本質的に異なります。子供の遊びは本来、自発的に作り上げていくモノであるのに対し、英才(早期)教育の場合は用意された活動を「受動的」に受け入れることで成立するモノです。

また、集団での遊びが減ることで他者との協同作業が苦手になる危険性もあり、協調性のない子どもに育っていく危険性もあると言われています。

英才(早期)教育はパターン化され、それに反応(リアクション)するという受け身の学習・訓練が中心のため、子どもは自発性・創造性の領域の発達が抑圧され、受け身的になってしまう危険があるとも言われています。

子どもは友達との遊びの中で多くのことを学ぶので、英才(早期)教育ばかりに走ることなく子どもの自発的な遊びの時間も大切にし、バランスの取れた生活が送れるよう心がけることが重要です。

最近、テレビニュースを見ていて、ぼーっとしてたら、「英才教育を施し・・・」というアナウンサーの言葉で「はっ」として画面を見ることがありました。

こんな夜中のスポーツニュースで「英才教育」っておかしいなと思ったら、プロ野球の新人選手が監督からバッティングの英才教育を受けている、という内容でした。
まぁ、ズポーツニュースで子供の英才教育は扱わないですよね~;^ 。^;

昔から、有望な新人選手がプロ野球チームに入団すると、監督や有名な選手が「英才教育」をするというニュースが報道されますね。
内容はだいたい、生活習慣やプロ意識、練習方法などプロ選手としての基本的な姿勢といったものを教えるのが英才教育ということみたいですね。

プロ野球選手になる若者は、たいがい小さなときから「野球バカ」といわれるほどに野球一筋で、チームではエースで4番というスター選手だということが多いそうです。つまり、周りのみんなは自分よりも野球がうまくなくて、「お山の大将」だった人がプロ選手になるケースが多いそうです。

でも、プロの世界はそんな人がゴロゴロいて、スーパースターはとんでもなく野球が上手くて、才能の違いに打ちのめされることもしばしばあるとのこと。
そうした経験を経て、大人になっていくというか、プロの一員になっていくそうなんです。

そうした新人選手の中でも才能を期待されて、英才教育を受ける一握りの才能ある選手がチームの主力選手になっていく可能性があるということ。
でもあくまでも「大選手になる可能性」があるだけで、主力選手を保証されるケースはないとのことです。

小学3年の娘に英才教育したい、と思っていますが、実際どんな教育をしてあげたらいいのか迷っています。
この間、タレントのタモリさんの番組で、たくさんの子供を東大や慶応・早稲田という一流の大学に入れまくったおばあちゃんのことが紹介されていました。

脳科学の方面から、幼児教育・英才教育について本も書いていらっしゃる方だったのですが、紙をやぶかせるとかにおいをかがせる、ガラガラをゆっくり振るなど、五感を刺激することによって脳の発達を促進するとうものでした。

物心つくまでの教育なのかなぁと思っていたのですが、子供の脳を刺激してあげることは小学生でも可能なんじゃないか、と感じました。

私たち親は、新聞をやぶくと、「そんなことはやめなさい」とか、花のにおいを嗅ぎにいって、地面に座ると「汚いからよしなさい」とか子供の行動を抑制しがちです。
でも子供の好奇心はそうした行動に現れており、そうした経験を積むことによって脳の発達を促しているのではないか、と思ったんです。

自分のことを振り返ってみると、小学3年の娘がコピー用紙を引っ張り出してきて破いているのを見ると、つい「無駄だからやめんさい」などと止めてばかりいました。でも、子供にとっては紙を破くことも大切な経験なのかもしれない・・・。反省しきりです。

「英才教育、英才教育、英才教育とは・・・?」と何か特別な英才教育法があるのではないかと思っていましたが、実は子供自身の好奇心をのびのびと見守ってあげることが英才教育なんじゃないかと感じる出来事でした。

P.S.最近本屋で見かけた気になる本をご紹介します。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
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なぜ、ウチの子だけ合格するのか?―中学受験「かしこい塾の使い方」





本当におススメですよ!

ゴールデンウィークも過去のこと・・・。
また今日から日常が始まったのですが、高校1年の長男も小学3年の長女もしっかりと学校に行きました。

子供たちを学校に送り出す毎日ですが、英才教育って何なんでしょうかねぇ?
最近少し疑問に思うことがあったので、悩んでいます。

娘はまだ9歳でほんとに可愛い女の子なのですが、英才教育をして中高一貫校のいい学校に入れたとして、そのごの大学進学、就職を考えた場合、どんな将来像があるのでしょうか。

もちろん彼女の将来は彼女自身が決めることなので、親のできることはいろんな可能性を見つけてあげることだと思っています。
アレコレと世話を焼いても娘の意志を曲げてまではできません。
小学校の間は、まだ娘の意思というのも固まっていないので親の言うことに従うしかないかもしれません。

ある程度自分で自分の将来を考えられるようになるまでは、親がしっかりとレールを敷いてあげることも大切だと思います。

そうした可能性を広げることと、英才教育とは両立するのでしょうか。
子供にはどんな可能性や能力があるかわからないので、いろんなことをさせてあげることが可能性を広げることにつながると思うのですが、英才教育によって何かに没頭してしまうと、他の可能性の芽がつぶされていってしまうのではないかと・・・。

可能性を伸ばすことと、広げることは両立するのでしょうか。
感受性豊かな子供時代を中学受験の勉強に充ててしまっていいのかどうかすこし悩んでいます。もっと伸び伸びと育てたほうがいいのでしょうか。